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「ありがとう」と言える豊かな人生

新年明けましておめでとうございます。皆さま楽しいお正月休暇をお過ごしになられたことと存じます。本年が希望あふれる輝かしい年となりますよう、皆様のご多幸、ご健康を心よりお祈り申し上げます。スタッフ一同気分一新し、大切なお子さまたちの学習意欲、学力の向上に精一杯努めてまいります。どうぞ本年年もよろしくお願い申し上げます。

年末年始はいつもより人との関りが多くなりがちですね。仕事では教室運営上お付き合いのある人とメールのやりとりや電話、プライベートでは買い物の頻度が増え、店員さん達と接する機会が多くなります。店員さんから爽やかな挨拶や笑顔をされると明るい気持ちになり自然とこちらも笑顔になってしまうものです。反対に無言で目を合わすことなく雑に接客をされると、ちょっと残念な、時には「私って迷惑な客なのかしら」と苛立ちを感じることさえあります。同じく仕事上の業者の方でもメールや電話で前置きや挨拶はなく、いきなり本題に入る人もいます。型式だけのあいさつを省略し、すぐ本題に入ることは合理的にも思えます。しかし、私たちは人間である以上必ず感情があります。単なる形式に思えるようでもやはり一言でも一文でもあいさつがあると、本題に入る前の心づもりができたりするものです。

教室でもいろいろな子どもがいます。元気よく「こんにちは」「ありがとうございました」と挨拶を自然にできる子もいれば、こちらから挨拶をしても恥ずかしくて無言でいる子や照れてわざと変な対応をする子等様々です。教室は教育現場であり、私たちも子どもの性格や心情を察しているので、どんな反応でも心の中で「かわいいな」と思いながら接しています。

しかし中学生も後半になってくると「かわいいな」という気持ちから逆に「大丈夫かな」という心配に変わってきます。思春期ゆえに必要な言葉以外は話さない時期でもありますが、「この子は必要な時に必要な挨拶や適切な対応をすることができるのだろうか」と思ってしまいます。高校入試にはほとんどの場合面接があります。いずれ社会に出ていくときも面接があります。その時だけ意識していても習慣化された言動は、面接官にはお見通しです。普段から他人への心遣いを身につけていてほしいと思います。

人は習慣化されたものは無意識におこなってしまうものです。定着してしまった習慣はかなり意識していない限りは忘れてしまったり、改善しにくいものだったりするものです。実際にこんな例があります。仕事上、定期的に教室に出入りする人がいつも無言で教室の2階まで上がってくるので、「驚くので一言でいいから声をかけていただけませんか。」と何度もお願いするにも関わらず、どうしても無言で上がってきてこちらから挨拶をしない限り向こうから声をかけてくれません。その人は他の場所でも同じようにしていても何も指摘されないのかもしれませんね。基本的にはいい方であると思っているのでちょっと残念です。長い間の習慣ゆえによほどのことがない限り直すことはできないのかもしれません。ここは教育現場です。向上心のある人たちの集合体でありたいと常に思っています。私の心の中に「この人でなければいけない理由はないので、機会があれば交代していただきたい。」という気持ちさえ芽生えてきてしまいます。

いつもお伝えしているように、今後AIはますます進化していくでしょう。私たち人間がロボットと違うのはそれぞれに感情があるということです。ロボットに私たちは同じような感情を期待はしてはいません。それゆえにロボットに対して本気で腹を立てることもありません。同じ仕事をお願いするのなら苛つかされる人間ではなくロボットにさせることを選択することになってくるでしょうね。

私の持論なのかもしれませんが、私は「人に『ありがとう』と言われるよりも人に『ありがとう』と言える人生の方が豊かである。」「人から心からの『ありがとう』と言われた分量がその人の本当の生産である。」と思っています。「ありがとう」と言われて嫌な気持ちになる人はまずいないでしょう。「ありがとう」が自然に言い合える人たちに良好な人間関係が築かれるのは必然でしょう。人と人の関係が希薄になりつつある現代であるからこそ、私たちは心を込めて挨拶をすることが必要であると思います。

当教室は勉強をするだけの空間でないと思っています。私たち指導にあたる立場の者が人生の先輩として、人として大切なこともいろいろな場面で伝えていきたいと思っています。学習を通じて「ありがとう」と人や物に感謝できる心、人の気持ちを察し人を気遣う心を育てていけるよう今後も努力していきます。